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エルアル ヒストリー(2) 魔法のカーペット作戦 

イスラエルが建国そして独立国家を宣言する1947年(国連の分割案)から48年。アラブ諸国では、そこに住むユダヤ人に対して憎悪が広がり次々と迫害が起きたことを前回書きました。

アラビア半島の「イエメン」という場所には、ソロモン王の時代からユダヤ人がいたと言いますから何と3000年もの間、5万人近くのコミュニテイを形成し大きな問題もなく暮らしてきました。しかし、この頃から財産を没収され、家や祈りの場所を焼かれそして1948年には82人が理由もなく殺されていたのでした。何とかこの場所から逃げ出さなければ全てのユダヤ人の生命が危ない状況でした。

イスラエルに住んでいた人たちは一刻も早く同胞を助けたい!というたまらない思いで過ごしていました。そのような中、突然イエメンのイマーム(イスラムの指導者)が「全て財産を置いていくなら、イスラエルに行ってもよし。ただ紅海への海路やアラビア半島の陸路を使うのは許さないぞ」と厳しい条件をつけました。

それに従うとアフリカの喜望峰までまわらなければならずほぼ行くのは不可能といっているのと同じでした。宗教的な伝統をしっかり守り、農業に多く携わっていたイエメンのユダヤ人は逃げる術も知らず絶望的になっていたのです。




↑ アデンからの飛行機の乗り込んでいるイエメンのユダヤ人。座っているのは木のベンチです。

イスラエル政府は、イエメンのユダヤ人を救うためにすぐに手を打ちました。エルアル航空を中心にイギリス、アメリカの航空会社に打診して飛行機をイエメンの首都アデンに向かわせ、秘密裏にユダヤ人を救出する作戦を進めるのでした。エルアル航空機ペイントを塗りなおして無国籍のチャーター機に替え、またユダヤ系の社長だったアラスカ航空が機体をそろえてくれたのです。しかし問題は、空路でいく場合に途中どこで燃料を補給するかでした。燃料が切れればアラブの国に不時着するしかありません。

アラビア半島の上は飛べないので、一度アフリカに出ると9時間もかかってしまいます。結局、イエメンからエチオピア、そしてテルアビブという三角ルートが採用されました。多くの危険を含んだフライトであることは誰も明らかでした。しかし、多くのクルーやパイロットが危険を省みずにこのオペレーションに参加しました。作戦の名前は「オペレーション・マジックカーペット」-魔法のじゅうたん作戦と名づけられたのでした。 続く 飛行機
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